本日は親鸞聖人の御誕生をお祝いする降誕会で、20名の方がお参りくださり、「分別(ふんべつ)」についてお取り次ぎさせていただきました。一般的に分別があると言うと「常識を持っている」という良い意味で使われますが、仏教で言う分別は、「虚妄分別(こもうふんべつ)」と言い、うそ偽りで自分勝手に物事を分けて見るという意味で苦しみの元になります。
金子みすゞさんの詩で「さびしいとき」と言うのがあります。
私がさびしいとき、よそのひとは知らないの 私がさびしいとき、お友だちは笑ふの
私がさびしいとき、おかあさんはやさしいの 私がさびしいとき、仏さまはさびしいの
私たちはたとえ肉親であっても、他人の悩み苦しみに完全に寄り添うことは出来ません。仏さまは、私の喜びを我が喜びとし、私の悲しみを我が悲しみと共にしてくださるお方です。仏さまは分別が障りとならない「無分別智(むふんべつち)」です。
分別しなければ生きていけない私ですが、分別によって苦しむ私たちです。そのような私を真実清浄、無分別智の仏さまは、放っておけず、お救いくださるのです。
来月6月12日(日)13:30より子ども向け行事の、妙生寺日曜学校が行われます。小中学生の お子様がいらっしゃるご家庭はお声かけお願いいたします。