今年の大学入試センター試験「倫理、政治・経済」の問題に、『歎異抄(たんにしょう)』に書かれている信心についての出題がありました。4択です、みなさまお考えください。
問い
『歎異抄』には、親鸞が師の法然と自分の信心は同一であると語ったところ、法然も親鸞の主張を認めたと伝えられている。
法然の認めた、親鸞の信心理解として最も適当なものを、次の①~④のうちからーつ選 ベ。
①信心は、悪人こそが阿弥陀仏による救いの本来の対象であることを理解して、救われるために悪行を犯してまでも得たものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
②信心は、阿弥陀仏の姿を実際に見るかのように思い描いたとき、心に生じてくるものであり、同じ阿弥陀仏を心に描いているのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
③信心は、自分自身の努力で身に付けた知恵や才覚によって獲得したものではなく、そもそも阿弥陀仏からいただいたものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
④信心は、行によって悟りを得ることはできないと知り、あらゆる行をすべて放棄し尽くした果てに、おのずと得られるものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
さぁどれが正解でしょうか・・・
正解は③です。阿弥陀さまより賜りたる他力のご信心というのが浄土真宗のご信心です。私(煩悩があり、気分次第でコロコロ変わる不確かな私)が間違いないと思って信じ込むのではなく、間違いない救いが阿弥陀如来さまよりすでに与えられていることを、疑うこと無く素直にいただくご信心です。そしてそのご信心をいただいて、ありがとうございます南無阿弥陀仏と御礼申し上げるお念仏なのです。
来月は、4月11日(月)午後1時半よりお経練習会があります。