2024年
11月
23日
土
本日の妙生寺仏教婦人会による、第6回お寺でコンサートは、トランペット・電子ピアノ・パーカッションの「梨春夏(りしゅんか)」の皆さんに演奏していただき、約50名の方がご参加してくださいました。
曲は、「アマポーラ」、「歌劇『アイーダ』より凱旋行進曲」から始まり、「時代」、「上を向いて歩こう」などでは、演奏に合わせてご参加の皆さんの歌声も聞こえました。
私が印象深かったのは「トランペット吹きの休日」で、曲のエピソードをお話しくださったこともあり、興味深く聞くことが出来ました。演奏はもちろん、梨春夏の皆さんはお話も上手で、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
11月ももうすぐ終わり、早いもので年末も近いですね。1月1日は13時半から元旦会がございます。どうぞお参りください。
2024年
11月
10日
日
本日の報恩講は24名の方がお参りくださり、御講師の安邉泰教師(東京)にご法話をいただきました。
報恩講の「報」の字は、受けた御恩をお返しする「報いる」という意味や、報道という言葉にありますように、「知らせる」という意味があります。 真実から背を向けている者に対しておはたらきくださる、阿弥陀さまの摂取不捨のはたらきが、私に届けられていることを知らせていただくのです。
歎異抄を書かれた唯円さんにゆかりがある、関東の報仏寺さんには、帰命盡十方無碍光如来と書かれたお名号(十字名号)があります。そのいわれには、平次郎という男がおり、この男は荒くれ者で、妻は心優しい方でした。妻は親鸞聖人のいらっしゃる稲田の草庵にお話を聞きに行かれ、親鸞聖人に十字名号を書いていただいたそうです。この名号を大切にしておられました。
平次郎は、妻が懐に入れているのは、他の男との怪しげな手紙ではないかと思い、妻を竹藪まで追いかけて刀で切ります。切られた妻は倒れ、平次郎はなんてことをしてしまったんだと後悔しながら自宅に戻ると、妻がおかえりなさいと出迎えるではありませんか。どういうことかと思い、妻と共に竹藪に行くと、血染めになり切られた十字名号がありました。平次郎は深く反省し、その後は夫婦で親鸞聖人の元へお聴聞に行かれ、唯円と名前を改めたそうです。
この逸話の真偽はさておき、逸話を通して、親鸞聖人がお念仏のみ教えを後世に残してくださったことを、ありがたくいただくことが大切ではないでしょうか。報恩講は親鸞聖人のご遺徳を偲び、お念仏をどのようにいただいて生活をしていくかが問われる法要です。
11/23㈯は妙生寺仏教婦人会「第6回お寺でコンサート」がございます。参加ご希望の方は申し込みが必要ですので、ご連絡ください。
2024年
11月
01日
金
本日の境内清掃は6名の方がお越しくださいました。帰り際、予報より少し早めに雨が降り出しましたが、掃除中は曇りで丁度良い気候でした。
今年の夏から秋にかけては、10月に入っても暑い日が続きましたが、この一週間ほどで、暑さも和らいだ気がします。
来週は浄土真宗でもっとも大切にする法要、報恩講がございます。11/10㈰13時半からです。どうぞみなさまお参りください。
2024年
10月
20日
日
本日の日曜学校は、2名のお子さんが参加してくれました。日曜学校は、コロナ前に数回行いましたが、参加者ゼロになったため休止し、その後コロナ禍になりましたので、久しぶりの開催となりました。
2名のお子さんと住職と坊守で活動しましたが、楽しそうに過ごしてくれた様子で、嬉しかったです。
お念珠とお経本の取り扱い方、お焼香の作法、らいはいのうたのおつとめをおこない、上手に出来ました。
その後は新聞紙で箱を作り、そこにお菓子を入れて食べました。好きな食べ物を当て合ったり、大きいホワイトボードで絵を描いたり、最後は本堂でおにごっこをしました。生き生きと笑顔で走り回っている姿が印象的でした。今日をご縁に、お寺を身近に感じていただけたら嬉しいです。
今後も不定期ですが、行いたいと思います。休日はご家族で過ごすご予定があったり、お子さんの習い事等おありかと思いますが、是非ご参加ください。楽しいですよ。
来月は、11/1㈮境内清掃、11/10㈰報恩講法要、11/23㈯お寺でコンサート〔要申込〕がございます。特に報恩講は浄土真宗で最も大切にする法要です。どうぞみなさまご参拝、ご参加ください。
2024年
10月
05日
土
本日、秋の合同研修会は教覚寺様を会場に行われ、全体で76名、妙生寺から9名が参加しました。
午前中は教覚寺ご住職様が弔辞についてのワークショップを開いてくださり、「自分の人生で大切に思っていること」や「よく知っている人に自分はどのような人物だと言われますか」ということなど、各項目をインタビュー形式で埋めていき、弔辞に結び付けるという内容でした。
本来、生前に自分で聞くことが無い自分に向けての弔辞を聞き、みなさん心に響くものがあったと思います。
午後は広島県深水謙昭師より「今日聞いて、今すくわれる」という講題で、お取り次ぎいただきました。
家の近所で火事があったとしても、火事があったということを知らない人にとっては、無かったことと一緒です。
同じように、阿弥陀さまは、すべてのいのちに南無阿弥陀仏と響いてくださっているけれど、私が聞いてなかったら、届いていないことと一緒です。
法然聖人の言葉で、「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ」とあります。月の光はすべての場所に届けられているけれど、眺めている人に月の光は届くのです。阿弥陀さまの救いは、他の誰でもない、私にための教えであったということと受け止めて聞かせていただきましょう。
次の妙生寺行事は、10/20㈰に日曜学校があります。小学生のお子さん、お孫さんがいらっしゃいましたら、どうぞお誘いください。