2016年
12月
08日
木
今日の成道会は、11名の方がお参りくださいました。
今年も残すところあと1ヵ月をきりました。お正月は毎年やってきますが、自分の立場や心境、環境の変化によって感じ方が変わってきますね。みなさまはどのような心境でお迎えになられますでしょうか。
本日はお参りとは何かということについてお取り次ぎさせていただきました。
お念仏を喜ばれた妙好人、讃岐の庄松さんは文字を読むことが出来なかったそうですが、難しいお経本を渡されると、恭しくいただき、「このお経本には、庄松をたすけるぞ、庄松をたすけるぞと書いてある」と読み取られたそうです。
お経を読んだり、お念仏を称えることは、亡き人に向けられたものではありません。
お参りとは、この私に向けられている阿弥陀さまの願い、「あなたを間違いなく救いますよ」という願いを、疑うことなく聞き受け、喜び、感謝御礼申しあげることです。端的に申し上げますと、「ありがとうございます」というお参りです。
お勤め、お話しの後は、仏典アニメ「ウパーリの出家」を見て、その後お茶をいただきながら歓談しました。
お茶をいただきながらの話では、若い頃、お正月には両親が新しい服を用意してくれて嬉しかったという話題が出ました。本日お参りに来られた方々のご両親世代の方は、着物を着ておしゃれをしてお寺にお参りに行かれたそうです。お寺はそれだけ特別な場所だったのかもしれません。
来月は1月1日11時より元旦会がおつとまりになります。
2016年
11月
22日
火
11月21日(月)~22日(火)、浄土真宗本願寺派第25代専如門主伝灯奉告法要の団体参拝に行ってきました。清水区から11名、現地集合2名の計13名で参拝しました。
初日は法要へ参拝、その後帰敬式受式組と龍谷ミュージアム組に分かれて行動し、その後旅館へ移動しました。
2日目は大谷本廟へ参拝、その後東福寺で紅葉狩り、東本願寺渉成園、東寺へ参拝しました。この写真は東寺です。
紅葉シーズンの参拝旅行でしたので、観光の方々は多かったですが、タクシー乗車などスムーズにいき、運転手さんのお話によると、紅葉は例年に比べ綺麗だったそうです。2日目の天気は快晴、気温も高めで、観光しやすい条件が整っていました。天候と気温は、旅行の印象を大きく左右しますね。
ご本山での法要は、全国各地からお念仏のみ教えを仰ぐ人々がお集まりになられます。それぞれの方が、様々なご縁で、お念仏のみ教えに出あい、ひとつの場所に集う・・・不思議なご縁ですね。
ご参加のみなさまの交流も深まりました、ありがとうございました。今回ご参加出来なかった皆さまも、ご縁が整えば次の機会の団体参拝に是非ご参加ください。
来月は12/8(木)13時半より成道会を行います。
2016年
11月
18日
金
本日のお経練習会は『奉讃伝灯作法』を練習しました。明後日、京都西本願寺へ伝灯奉告法要の団体参拝に行きますので、その予習も兼ねてです。はじめの散華(念仏)のお勤めは初めての節でしたが、他は、正信念仏偈作法だったり、親鸞聖人750回大遠忌法要で用いられたお勤めですので、みなさんなんとなく聞いたことがあるような節だったと思います。
なお、伝灯奉告法要はインターネット中継もされます。「西本願寺」で検索し、その画面より、伝灯奉告法要をクリック→伝灯奉告法要中継をクリック→阿弥陀堂中継(もしくは御影堂中継)をクリックしてみてください。
11/21(月)14時からの法要に、妙生寺参拝団は阿弥陀堂外陣の真ん中あたりで参拝しております。
2016年
10月
30日
日
昨日、今日と妙生寺報恩講でした。報恩講は、親鸞聖人のご法事であり、浄土真宗で最も大切にする法要です。
人間は縁次第でどのようなこともやってのけてしまう可能性があり、私もみなさんもその中の一人です。親鸞聖人のお言葉では「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」とお示しくださっております。そのような私を阿弥陀さまは必ず救うと、おはたらきくださっているというお取り次ぎを、昨日はさせていただきました。
二日目の今日は、神奈川県より毛利祥生先生にご法話をいただきました。本日お取り次ぎいただいた一部をご紹介させていただきます。
阿弥陀如来さまの救いをなかなか喜べないのは何故か、一つは、お浄土へは連れていっていただきたいけど、今ではないと思っているから。ぼちぼち行ってもいい時期かなと思う時にはいいけど、まだ早いと思っている時には素直に喜べないのです。二つめは、如来さまに救っていただかなければならないほど、自分は悪い人間だとは思っていないから喜べないのです。自分がどんな人間なのか知る必要があるのかもしれません。私たちは自分が思っているほど、マシな人間ではないのです。お経の中には、私たち人間は下の下の存在、救われ難い存在とお示しくださっています。
如来さまは、貪り怒り愚かさが尽きることのない、救われ難い私たちを、なんとか救いたいと願い続けてくださっているのです。この如来さまのご本願が尽きる時はありません。苦しみ悩み続ける私がいる限り、如来さまのご本願はいつでも私たちのそばにいてくださるのです。
ご自身の体験をふまえ、ご聴聞の方々を度々笑わせてくださり、我が身を振り返る問いを与えてくださり、救われる身を喜ぶ貴重な一日となりました。
来月は11月18日(金)13時半よりお経練習会がございます。
2016年
10月
25日
火
今日は小雨降る中、11人の方がおみがきにお集まりくださいました。
年に2回行っていますが、半年経ちますと仏具の輝きが少しづつ薄れてきますね。今日は再び仏具が輝きを取り戻しました。ご協力ありがとうございました。
いつもながら、ご近所の方を車でお送りくださる方、雨の中自転車でお越しくださる方、電車やバスを使い時間をかけてお越しくださる方、欠かさずお越しくださる方、初めての方、皆さまありがとうございます。
10/29(土)・30(日)は報恩講です。30日は神奈川県の毛利祥生先生よりご法話をいただきます。どうぞ皆さまお参りください。
2016年
10月
16日
日
今日は秋晴れの気持ちいい一日で、子どもたちの参加は7人でした。
お話は、私たちは見えないところで支えられているというお話です。まず、子どもたちに、目の前に木があることを想像してもらい、その木が見える景色を話してもらいました。葉っぱがある、枝がある、青い花が咲いている、そばにベンチがある、地面には煙草の吸い殻が落ちている・・・などそれぞれが想像した景色を話してもらいましたが、どの子からも根っこの話は出ませんでした。木は根がなければ地面に立つことは出来ません。目に見えない根という支えがあるからこそ木が存在するよねと話し、夜空の星についても、昼間空を見上げても、私たちの目には星が見えないけど、ちゃんと存在しているよという話をしました。
みんなが知らない間にお父さんお母さんは頑張ってくださっているんだよ、みんなが目にすることの無いところで、みんなは多くの方々によって支えられているんだよ、仏さまは目に見えないけれどみんなを見守ってくださっているんだよというお話をしました。
写真は、私が小学生の頃によく遊んだ「ポコペン」という遊びをしているところです。背中をつっついて誰が最後につっついたかを当て、当たらなければ缶蹴りのような遊びに変わっていくという遊びです。
今月末、29日(土)・30日(日)は浄土真宗でもっとも大切にする法要、親鸞聖人のお徳をお讃えする報恩講です。どうぞみなさまお参りください。
2016年
9月
22日
木
本日は小雨降る中、約40名の方がお参りくださいました。
親鸞聖人がお敬いになられた七高僧の一人、源信和尚がお亡くなりになられて1000年、今年比叡山では、源信和尚をお敬いする各宗派によって千回忌法要がお勤めされました。
源信和尚は若くして当時の天皇の御前で講義をし、それを喜ばれた天皇は数々の褒美の品と僧侶としての高い地位を授けられました。この喜びを母に知らせようと、褒美の品を母に送りましたが、返送され、和歌が添えてありました。
後の世を渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となりたまへ
地位や名声、財産が欲しくてあなたをお坊さんにしたのではありません、すべての人々が救われる道を求めてくださいという意味でしょうか。本来なら大喜びする出来事ですが、心を鬼にして大切なことを教えてくださっておられます。
10月は、10/16(日)13:30より日曜学校。10/25(火)10時よりおみがき・境内清掃。10/29(土)、10/30(日)は報恩講です。報恩講は浄土真宗で最も大切にする法要です。10/30(日)は神奈川県より毛利祥生先生にご法話をいただきます。どうぞ皆様お参りください。
2016年
9月
16日
金
今朝は雨が降ったり止んだりの不安定なお天気でしたが、8名の方が境内清掃にお集まりくださいました。お寺の掃除のためにお越しくださり、有り難い限りです。
松の下のシダも取り去り、スッキリしました。
これからの連休もしばらく雨が続きそうですが、お彼岸のお中日の22日(木・祝)午後1時半より、秋季彼岸会がございます、皆様どうぞお参りください。
2016年
7月
29日
金
7/27(水)~7/29(金)の2泊3日でお寺の林間学校がありました。
今年は神奈川県伊勢原市の「日向ふれあい学習センター」を会場に、小・中学生44名、スタッフの高校生・大人約50名の参加でした。今年も清水区の子どもたちは夏休みに入っていないので、妙生寺からはスタッフ1名のみの参加でした。
この林間学校は、静岡県、神奈川県、山梨県のお寺で募集した子ども達が夏休みに集まり、仏さまの教えに触れ、レクリエーションを通じて交流を深める行事です。この行事が楽しみで毎年参加してくれる子もいて、1年ぶりに顔を合わせることが出来ました。
初日は、おつとめの練習や川遊び、バーべキューを行いました。写真はバーベキュー後にマシュマロを火であぶって食べる様子です。
次回の妙生寺行事は、
9月16日(金)10時より境内清掃、9月22日(木・祝)午後1時半より秋季彼岸会がございます。
2016年
7月
10日
日
本日の盂蘭盆会は約50名の方がお参りくださいました。ご講師は山梨県小笠原博慧先生で、大谷嬉子前々御裏方様(御裏方様とはご門主様の奥様)が詠まれた詩を紹介されました。
「千万(ちよろず)の いのちの上に築かれし 平(たひら)けき世を 生くる悲しさ」
戦後70年が過ぎましたが、我々は戦争という悲しい歴史の上にいのちを賜っています。第二次世界大戦を実際に経験された方は、年々少なくなり、当時の様子を話で聞いただけの人がほとんどという時代になりました。
権力者、立場が上というだけで、明らかにその言動が間違っていても従わなければ生きていけないという世の中は生きづらいものです。
そして今日は参議院議員通常選挙投開票日でした。このたびの選挙の結果で、時代がまた大きく変わってしまうかもしれません。
お墓参りに来られた方で、本堂の外でご講師の話を聞いていた方が、話に興味を持ち、しっかり聞きたいと途中から本堂に入られて話を聞かれたようです。
ご法話中でも出入り自由ですので、どうぞお気軽にお入りください。
9月16日(金)午前10時から境内清掃、9月22日(木・祝)午後1時半より秋季彼岸会が行われます。
2016年
7月
04日
月
梅雨の期間ではありますが、晴れの日が続き、雨が降らず、本日も気温が32℃という暑い中、9名の方がお越しくださいました。
芝の間に草がたくさん生え、芝の勢いが無くなってしまったところもあり、今回はその草を取り除くことをメインに行いました。
みなさんのおかげで、ずいぶん取り除くことが出来ました。ありがとうございました。
7/10(日)午後1時半より盂蘭盆会(歓喜会)が行われます。
2016年
6月
12日
日
今日の日曜学校は9名の子どもたちが参加してくれました。
お話は蓮(はす)の花にまつわるお話。蓮は阿弥陀さまの台座になっている花で、泥の中で咲くけど泥に染まらず、美しい花を咲かせます。
泥というのは、この世にたとえられます。自分中心に振る舞う人間の集まる世界のことです。このような世の中で、私を仏(美しい花)にさせようとおはたらきくださる阿弥陀さまがいらっしゃいます。美しい花にたとえられる仏さまをお敬いし、仏さまを仰ぐ日々を送りたいものですね。
お参りの後は、新聞紙で防災スリッパを作り、境内の草むしりを手伝ってもらいました。子どもたちはスリッパが気になり、草むしりは・・・まぁこんなものでしょう。
最後は恒例の境内で鬼ごっこ。子どもたちは体を動かすのが好きですね。初めて来てくれた子も、また来たいと言ってくれました。次回の日曜学校は10月16日(日)13:30からです。
来月は7月10日(日)13:30より盂蘭盆会がございます。
2016年
5月
22日
日
本日は親鸞聖人の御誕生をお祝いする降誕会で、20名の方がお参りくださり、「分別(ふんべつ)」についてお取り次ぎさせていただきました。一般的に分別があると言うと「常識を持っている」という良い意味で使われますが、仏教で言う分別は、「虚妄分別(こもうふんべつ)」と言い、うそ偽りで自分勝手に物事を分けて見るという意味で苦しみの元になります。
金子みすゞさんの詩で「さびしいとき」と言うのがあります。
私がさびしいとき、よそのひとは知らないの 私がさびしいとき、お友だちは笑ふの
私がさびしいとき、おかあさんはやさしいの 私がさびしいとき、仏さまはさびしいの
私たちはたとえ肉親であっても、他人の悩み苦しみに完全に寄り添うことは出来ません。仏さまは、私の喜びを我が喜びとし、私の悲しみを我が悲しみと共にしてくださるお方です。仏さまは分別が障りとならない「無分別智(むふんべつち)」です。
分別しなければ生きていけない私ですが、分別によって苦しむ私たちです。そのような私を真実清浄、無分別智の仏さまは、放っておけず、お救いくださるのです。
来月6月12日(日)13:30より子ども向け行事の、妙生寺日曜学校が行われます。小中学生の お子様がいらっしゃるご家庭はお声かけお願いいたします。
2016年
5月
17日
火
今日はおみがき・境内清掃に12名の方が お越しくださり、みなさん慣れた手つきでスムーズにおみがきが出来ました。
境内は雨が降ったり止んだりでしたが、小雨の時を見計らって傘もささずに草ぬきをしてくださいました。窓は掃除道具をご持参くださった方もいらっしゃって、いつも以上に綺麗になりました。
5月22日(日)13時半より降誕会がございます、みなさま是非お参りください。
2016年
4月
11日
月
本日のお経練習会は正信念仏偈作法でした。このお勤めは、お寺の法要でよく使われます。正信偈(十二礼の節)の部分は以前から練習しておりましたが、今回は三奉請、十一句念仏、回向を練習しました。本日ご参加いただいた9名のみなさんは、お寺の行事に欠かさずお越しくださるみなさんですので、今後もお勤めを引っ張っていただければと思います。
正信偈現代語訳『印度西天之論家~帰命無碍光如来』
インドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・法然聖人という7人の高僧は、釈尊がこの世にお生まれになった意義を現し、阿弥陀仏の誓いはすべての人々を救う教えであることを明らかにしてくださいました。
釈迦如来は楞伽山で説法された時、聴衆に向かって予告され、「南インドに龍樹という大いなる人が現れて、我亡きあと真理を覆う有と無の思想をことごとく打ち砕くであろう」と言われました。そして彼は、自分だけの救いだけではなく、いのちのすべてを乗せて運ぶ、大きな乗り物のようなすばらしい救いの法を説き、自らの身と心によろこびをあかして「いのち安らぐさとりの国に生まれる」と言われました。さとりへの道は2つあると示し、陸路を歩く苦しい難行よりも、共に船に乗って渡る行き易い道があることを示されました。それは仏さまの願いの船におまかせして、悩みの海を渡り、さとりの岸にいたることなのです。仏さまの願いを忘れず、心に思い念じるならば、願いのはたらきで、おのずからすぐに必ずさとりを約束され、退かない身と定まる。ただよく常に仏さまの名を称えて、大きな悲願の恩恵に応えていくことが大切であると言われました。
天親菩薩は仏の心を浄土論に著し「私はさまたげなき光の仏のいわれをよく聞きわけ、信じて生きます」と表明されました。
来月は5月17日(火)10時からおみがき・境内清掃、22日(日)13時30より降誕会がございます。
2016年
3月
20日
日
今年の大学入試センター試験「倫理、政治・経済」の問題に、『歎異抄(たんにしょう)』に書かれている信心についての出題がありました。4択です、みなさまお考えください。
問い
『歎異抄』には、親鸞が師の法然と自分の信心は同一であると語ったところ、法然も親鸞の主張を認めたと伝えられている。
法然の認めた、親鸞の信心理解として最も適当なものを、次の①~④のうちからーつ選 ベ。
①信心は、悪人こそが阿弥陀仏による救いの本来の対象であることを理解して、救われるために悪行を犯してまでも得たものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
②信心は、阿弥陀仏の姿を実際に見るかのように思い描いたとき、心に生じてくるものであり、同じ阿弥陀仏を心に描いているのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
③信心は、自分自身の努力で身に付けた知恵や才覚によって獲得したものではなく、そもそも阿弥陀仏からいただいたものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
④信心は、行によって悟りを得ることはできないと知り、あらゆる行をすべて放棄し尽くした果てに、おのずと得られるものなのだから、法然と親鸞とで異なることはあり得ない。
さぁどれが正解でしょうか・・・
正解は③です。阿弥陀さまより賜りたる他力のご信心というのが浄土真宗のご信心です。私(煩悩があり、気分次第でコロコロ変わる不確かな私)が間違いないと思って信じ込むのではなく、間違いない救いが阿弥陀如来さまよりすでに与えられていることを、疑うこと無く素直にいただくご信心です。そしてそのご信心をいただいて、ありがとうございます南無阿弥陀仏と御礼申し上げるお念仏なのです。
来月は、4月11日(月)午後1時半よりお経練習会があります。
2016年
2月
15日
月
本日はお釈迦さまが涅槃に入られた日をご縁におつとまりになる涅槃会(ねはんえ)でした。
お釈迦さまが涅槃に入られた時、誰も「亡くなった、死んだ」とはおっしゃられず、「涅槃に入られた」と表現されました。涅槃とは「完全な安らぎ」という意味です。
「欲生我国(よくしょうがこく)」という言葉があります。「我が国に生まれるとおもえ」という意味です。私たちが死と名付けていることを「浄土という完全な安らぎの世界に生まれるとおもってくださいよ」ということです。
「死ぬと思うな、我が国に生まれるとおもえ」と言われても、なかなかそう思えないのが私たちです。自分の知識、経験が間違いないと思い込んでいる人は特に受け入れがたいのかもしれません。
しかしこのお言葉は、私たち人間が作った言葉ではなく、真実清浄なる仏さまのお言葉です。私たちはただただそのお言葉、お気持ちをいただくばかりであります。
この娑婆世界でのいのちが尽きるという事実は変わりませんが、それは死ではなく仏さまとしての新たな生が待っているのです。
仏さまに照らされ、「自分の知識や経験というものは確かなものではなかったんだ」と気づき、真実のお言葉を素直に受け入れる。
救いは往生の後ではなく、今まさに届いているのです。浄土を敬う人生を恵まれ、この世の縁尽きたら仏さまに成らせていただくいのちを生きていることに、ありがとうございますというお念仏の生活をいたしましょう。
来月は20日(日・祝)午後1時半より春季彼岸会です。
2016年
1月
01日
金
明けましておめでとうございます。年末年始はテレビの特番で、歌番組やスポーツの大きな大会がよく取り上げられます。私がこれらの方々に魅力を感じるのは、素晴らしいパフォーマンスはもちろん、一生懸命な姿、楽しんでいる姿、真摯に取り組んだからこそ湧き上がる感情など、その人そのものの輝きが、声や動きから伝わってくるからです。
京都大学の総長も務められた念仏者、平沢興先生の言葉で「その人全体からにじみ出る味わいで、その人物がわかる」という言葉があります。私たちは人に対して何をもって印象を持つかというと、その人の言葉使いや表情など色々ありますが、その人そのものからにじみ出ているもので感じるところも大きいのではないでしょうか。
親鸞聖人のご和讃に「染香人のその身には 香気あるがごとくなり これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳とまうすなる」とあり、意味は、香りに染まった人の身からおのずとかぐわしい香りが漂ってくるように、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、智慧の香りが染み込み輝いているということです。
浄土真宗のみ教えは、知識や学問ではなく信仰です。ただ単に知識として頭に入っているだけでは我がこととして身にはなってはいないのです。聴聞を重ね、我が身を振り返り、阿弥陀様のお救いは、この私のためにあったのだと心から喜べるような日々を過ごせるよう、新年を迎え思いをあらたにしたいものです。
来月は、2月15日(月)午後1時半より涅槃会がございます。
京都西本願寺では1月9日より16日まで御正忌報恩講がお勤まりになります。西本願寺ホームページでは法要や法話のインターネット中継がございますのでご覧ください。