報恩講

 本日の報恩講、御講師は三重県の加藤学先生にお話しいただき、午前16名、午後14名の方がお参りくださいました。

 報恩講の報恩という言葉は「恩に報いる」の他に「恩を報(し)らせる、恩を報(し)る」という読み方も出来ます。

 みんながいがみ合って争って生きるのと、みんなが助け合って仲良く生きるの、どちらかを選べるとなったら、すべての人がみんなが助け合って仲良く生きたいと思うと思います。

 それはロシアやウクライナで質問しても、そう答えるでしょう。しかし現実はお互いを傷つけあっているのではないでしょうか。平和を望みながらそうできない、もちろん1人1人が精一杯努力していかなければならないですが、思い通りにならないのが現実です。

 心も体も思うようにいきませんし、自分のことでさえ見捨ててしまうかもしれません。そう思ってしまうこの私に、阿弥陀さまだけは決して見捨てず、南無阿弥陀仏となって届いてくださって、私のいのちに響いてくださるのです。

 重力や引力がはたらいているように、阿弥陀さまは今日、このお寺の本堂に私を引っ張ってくださっているから皆さんがここにいらっしゃるのです。

 手を合せているのはなぜか、お念仏しようと思えたのはなぜか、お念仏しているのはなぜか、それは阿弥陀さまのお力がはたらいているからなのです。

 もしこのことを今日受け入れることが出来なくても、お寺さんはこのようなお話しをしてくださいますので、いつか受け入れる縁がととのい、頷いてくださるようになればと思います。