盂蘭盆会 うらぼんえ

 本日の盂蘭盆会は、新型コロナ対策で午前午後の二部制で行い、それぞれ17名、13名の方がお参りくださいました。

 御講師は兵庫県の八木顕宣師でした。御法話の一部をご紹介させていただきます。

 人間死んだらおしまい、終わりだ、という考えの方が、最近は多くなっているのかもしれません。

 あるお寺で聞いた話では、夫のお骨を抱えてお参りしてくださいと来られた奥さんと娘さんでしたが、帰り際、「父のお骨は宅配便で送れば良い」と娘さんが言ったそうです。父の葬儀も行わず、様々なご事情がおありでしょうが、娘さんにとってはお骨はモノでしかなかったのかもしれません。

 お骨から亡くなった方のいのちを感じ、亡き人からの「あなたもこうなるんだよ(いのち終えなければならないんだよ)」「どこに立って、どこに向かって生きていますか」というメッセージを受け止めることが大切なことではないでしょうか。

 死んだら終わりという人生には、死にゆくいのちでしかありません。浄土真宗では往生といい、お浄土に往き仏に生まれるいのちでありましたということを聞かせていただきます。そのことを今聞いて、お念仏を申すからこそ開かれていくいのちの世界観なのです。

 死んだら終わりといういのちではなく、この我が命が迎えられていく、そのような場所が用意されているんだということを、親鸞聖人は喜んでいかれたのではないかと思われます。

 死んで終わっていくようないのちではなく、生まれていける世界が他の誰でもない、この私に用意されていたことをお喜びになられたのではないでしょうか。

 それは親鸞聖人だけでなく、私たちも一緒です。死んだらおしまいではなく、生まれさせていだたくいのちをいただいているのです。