本日の秋季彼岸会には、約40名の方がお参りくださり、
「聞(もん)」、「聞く」ということについてお取り次ぎさせていただきました。
「聞(もん)といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」
浄土真宗では、厳しい修行をして心を清らかに出来たなら、救われるという教えではありません。清らかになれない私に対して、何とかして救いたいと慈しみの心をもってお救いくださる阿弥陀さまのお慈悲をよろこぶみ教えです。
この私たった1人を救わんがためにお出ましくださったことを聞かせていただくのです。
自らをふり返ること無く、好き勝手振る舞い、怒りや欲望にまみれたこの私を何とかして救いたいと「南無阿弥陀仏」のお念仏にすべての功徳を込めて私にお届けくださいました。
どのような私であっても、そのままの私をお救いくださるのです。阿弥陀さまのお救いはそのままのお救いではありますが、その功徳をいただいた私は、このままではお恥ずかしいと人生が変わっていくのです。死後の心配をする必要はありませんが、生き方を問わずにはいられなくなるのです。
お念仏を申す人生とは、消極的な人生ではありません。大きな御恩をいただいたからこそ、何とかしなくてはならないという気持ちにさせていただく積極的な人生だと私は味わわせていただいております。
来月は10月17日(火)13時半よりお経練習会があります。なお、11月13日(月)に築地本願寺へ日帰りで団体参拝に行きます。ご希望の方は10月末までにご連絡ください。