2017年
12月
08日
金
本日の成道会は11名の方がお参りくださいました。
平等とか公平という言葉がありますが、すべての人に対して納得のいくような平等とか公平というのは難しいですよね。
この人にとっては得をするけど、あの人にとっては損をする、不公平を感じるというのは必ずと言っていいほどあります。
阿弥陀さまの救いは、「すべての人々をもらさず救う、すべての人を念仏ひとつで平等に救う」ということです。
このことを素直に喜べますでしょうか?「私はがんばったのに、何であの人も同じように救われるのか」と不満を感じる人もいることでしょう。
もしそのように感じているならば、自分を賢者、努力者、立派な側の人間だと思っているからかもしれません。
阿弥陀さまの救いというのは他人と比べての救いだったり、世間の価値観や傍観者的に語るものではありません。
自分を深く見つめれば見つめるほど「救われ難い私であった」ということにお気づきになられたのが親鸞聖人です。救われ難い自分に気付くということは、阿弥陀さまの救いの光が届いている証拠です。自分の本当の姿が明らかになってくるのです。「この救われ難い私のために、阿弥陀さまの救いがあったのだ」と我がこととするのが大切なのです。
源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 賢哲愚夫もえらばれず 豪貴鄙賤もへだてなし
老いも若きも、男も女も、賢き者も愚かな者も、救いの光はすべての人々に降り注がれている、この私に降り注がれていることを喜び、お念仏申しましょう。
来月、平成30年1月1日(月・祝)午前11時より元旦会がございます。
2017年
11月
13日
月
築地本願寺の報恩講の団体参拝に7名で行ってきました。午前中は東京スカイツリーに登りました。エレベーターはあっという間に展望階に着き、高所のため足元がフワフワした感じになったという方が多かったです。晴れたので、東京がぐるりと見渡せました。
その後は、築地まで移動し、海鮮丼屋さんで昼食をとり、場外市場でショッピングを楽しみました。
午後からは築地本願寺の報恩講法要参拝とお聴聞をさせていただきました。ご講師のご法話で、家族みんながお念仏を称えているけど、お母ちゃんだけがお念仏を称えていないから、のちの世で会うことが出来ない、大変だ!と焦った子どもが、急いで母にお念仏を勧めたというお話を紹介してくださいました。
私たちは何がご縁となって浄土真宗のみ教えに出合うかわかりませんね。お念仏のみ教えに出合わないまま、死は不幸でしかないと捉え、暗い世界に沈んでいくのか。または、生かされている人生も尊い、人としてのいのち終えて、往生させていただくお浄土の世界も尊いといただくことが出来るか。一人でも多くの方がお念仏のみ教えに出合い、人として生まれて良かった、お念仏のみ教えに出合えて良かったと思っていただけるといいですね。
来月、12月8日(金)は13時半より成道会がございます。
2017年
11月
05日
日
11月4日(土)午後、5日(日)午前・午後と報恩講でした。それぞれ約25名の方がお参りくださいました。
4日は、浄土真宗のみ教えは「私は救われるために何をしたらいいのか」ということを聞くのではなく、「すでに阿弥陀さまより救いは届けられていた」ことを聞かせていただくのですよ。その御恩を思い、お念仏させていただきましょう、というお取り次ぎをさせていただきました。
5日は、渡邊元綱先生にお取り次ぎいただきました。当日のご法話の一部をご紹介させていただきます。
私たちは、あてにしていたものがガラガラと崩れ落ちていく世の中を生きているのですよ、いつ何が起きてもおかしくない中を生きているんですよ。あなたが間違いないと思っていることは本当に間違いないですか。この世の中は火宅無常の世界です。炎に包まれた家のように慌ただしくせわしない、常に移ろい続けていく世界です。確かなものなど何もないのですよ、いつ崩れるかわからないのです。そこに気づいておくれよと親鸞聖人はおっしゃっっておられます。また、ハエやヒアリなど、自分にとって都合が悪いものの命はどうなろうがかまわないというような気持ちでいて、自分にとって都合が良いものは、かわいい、愛おしいと言う。それが自己中心で生きている無明の私たち、暗やみの中で生きている私たちなのです。そのような私の正体を見抜き、「この阿弥陀にまかせろよ」と灯となって照らしてくださり、舟となって私たちを乗せてくださる、それが阿弥陀さまなのです。
2017年
10月
31日
火
今日は13名の方がお集まりくださいました。天気予報どおり、はじめのうちはパラパラと小雨が降りましたが、そのまま行いました。写真はおみがき前の仏具です。これがどうなったかは、今週末の報恩講でご覧ください。みなさんに綺麗にしていただきましたよ。
終了後、お弁当を食べている時の会話で「しょろしょろ」という静岡弁が出てきました。「しょろしょろしているから、こうなったんだ」という風に使い、「ぐずぐず」とか「のろのろ」という意味だそうです。私にはまだまだ聞いたことの無いない静岡弁がありそうです。
今年の妙生寺報恩講は、11月4日(土)13時半より法要、御伝鈔拝読、11月5日(日)10時半より法要、ご法話、お斎(おとき・・・食事)をはさんで、 13時より法要、ご法話がございます。5日のご講師は東京都より渡邉元綱先生にお取り次ぎいただきます。報恩講は親鸞聖人のご苦労をお忍びし、御恩に報いる法要で、浄土真宗のご門徒さんが1年でもっとも大切にする法要です。どうぞみなさまお参りください。
2017年
10月
22日
日
今日の日曜学校は、雨の中7名の子どもたちが来てくれました。はじめに、いつものようにお焼香、おつとめ、仏さまのお話をしました。
今日のお話は、仏さまはみんなに点数を付けないというお話です。勉強が得意な子、苦手な子、走りまわることが好きな子、1人で静かに過ごすことが好きな子、元気な子、病気がちな子、どの子も仏さまから見たらみんな素晴らしい子だよ、生まれてきてくれてありがとう!と思ってくださっています。どんなことがあっても、あなたは大切なお友達です、自信をもって生きていきましょうねというお話をしました。
おつとめの時には、何回も来てくれている子が、初めて来た子の隣にそっと座って、お作法を教えてあげている姿が見れて嬉しかったです。
おつとめの後は、本堂で手先を使って頭の体操、目隠しで触って物あて、工作をしました。写真は新聞紙でごみ箱をたくさん作り、手裏剣も作ってごみ箱の中に入れるゲームをしているところです。
今日初めて来た子は、「お寺では、じっと座れなかったら硬い棒で肩を叩かれたり、厳しいことをするところだと思っていたけど、楽しかった」と言ってくれました。そういうことを望んでいる親御さんもいらっしゃるかもしれませんが、妙生寺では厳しいことはいたしません。お参りのお作法はきっちり指導しますし、いけないことをしたら注意はします。しかし、それ以外は楽しく過ごしてもらいます。
雨でも室内でも、みんなが集まれば楽しく過ごせますね。お寺は老若男女、みんなが集う場所であり、仏事だけを行う場所ではありません。これからも楽しく集える場所作りを目指します。
次回の子ども向け行事は来年になりますが、初めての子もぜひ遊びにきてくださいね。
10月31日(火)10時よりおみがきと境内清掃がございます。ご協力お願いいたします。
2017年
10月
17日
火
今日は雨の中、7名の方がお越しくださいました。はじめに、本堂の中央に置いてある大きなキンを打ったことが無い方に打っていただきました。家にあるおリンよりもずっと大きく、打つ強さや角度、打つ場所など、初めてなのでなかなかコツがつかみにくかったと思います。何度も打てば慣れますね。次回は実際におつとめを引っ張っていただきたいと思います。
その後、毎年報恩講でお勤めする和讃「五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし」から六首を練習しました。「弥勒菩薩は仏に成る身に定まっておられ、56億7千万年後に仏さまに成られます。その弥勒菩薩さまと同じく、阿弥陀さまから賜る信心によって、たった今、この私が仏になる身と定まり、いのち終ると同時に仏さまに成らせていただけるのです。なんともったいない、なんと尊いことでしょう」と味わえるご和讃です。
来月11月4日(土)5日(日)は報恩講です。親鸞聖人の御命日に際し、聖人がお伝えくださったお念仏のみ教えを共に喜ぶ、浄土真宗門徒として最も大切な法要です。どうぞみなさまお参りください。5日は渡邉元綱師(東京)にお取り次ぎいただきます。
なお、報恩講に先立ちまして、10月31日(火)午前10時よりおみがき・境内清掃がございます。ご協力お願い申し上げます。
2017年
9月
23日
土
本日の秋季彼岸会には、約40名の方がお参りくださり、
「聞(もん)」、「聞く」ということについてお取り次ぎさせていただきました。
「聞(もん)といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」
浄土真宗では、厳しい修行をして心を清らかに出来たなら、救われるという教えではありません。清らかになれない私に対して、何とかして救いたいと慈しみの心をもってお救いくださる阿弥陀さまのお慈悲をよろこぶみ教えです。
この私たった1人を救わんがためにお出ましくださったことを聞かせていただくのです。
自らをふり返ること無く、好き勝手振る舞い、怒りや欲望にまみれたこの私を何とかして救いたいと「南無阿弥陀仏」のお念仏にすべての功徳を込めて私にお届けくださいました。
どのような私であっても、そのままの私をお救いくださるのです。阿弥陀さまのお救いはそのままのお救いではありますが、その功徳をいただいた私は、このままではお恥ずかしいと人生が変わっていくのです。死後の心配をする必要はありませんが、生き方を問わずにはいられなくなるのです。
お念仏を申す人生とは、消極的な人生ではありません。大きな御恩をいただいたからこそ、何とかしなくてはならないという気持ちにさせていただく積極的な人生だと私は味わわせていただいております。
来月は10月17日(火)13時半よりお経練習会があります。なお、11月13日(月)に築地本願寺へ日帰りで団体参拝に行きます。ご希望の方は10月末までにご連絡ください。
2017年
9月
15日
金
今日の境内清掃は13名の方がお越しくださいました。初めての方も3名いらっしゃいました。明日からは台風の影響があるようですが、今日は比較的涼しく、掃除日和でした。
いつも思うのですが、お掃除のためだけに、お寺にお越しくださるということは本当にありがたいことです。お寺はみなさんによって支えられています。
来週9月23日(土祝)は13時半より秋季彼岸会がございます。「彼岸」とはお浄土というさとりの世界のことです。さとりの世界に背を向け迷いの世界にあり続けている私たちです。仏さまのお救いを共に聞かせていただきましょう。どうぞみなさまお参りください。
写真はご門徒の奥田さんがご寄贈くださった掃除道具です。ありがとうございました。
2017年
8月
02日
水
今年の東京教区南ブロック「お寺の林間学校」は、7月31日~8月2日の2泊3日、子ども51名、スタッフ約30名の参加で滋賀、京都に行ってきました。妙生寺からは子ども2名、スタッフ1名の参加でした。
大型バス2台で滋賀・京都へ向かい、初日は琵琶湖のすぐ側の旅館に泊まり、夜はキャンプファイヤーをしました。
2日目・3日目は本願寺にて、児童念仏奉仕団・子どものつどい「本願寺DAYS」に参加しました。全国から集まった700名くらいの子どもたちと共に、お参り、謎解きゲームなどをしました。
普段なかなか接することの無い、他府県の新しいお友達が出来、楽しく3日間を過ごせたようです。
期間中のゲームの中で、今日が誕生日だという子がいることがわかり、全員でハッピーバースデートゥーユーの歌を歌い、お祝いしました。その子が誕生日とわかった瞬間、歌をサッと歌い始めた人の瞬発力のすごさ、その声に合わせて全員が歌を歌う一体感がとても良かったです。
来年は静岡の伊豆方面での開催です。楽しい行事ですので、小中学生のみなさん、ぜひぜひご参加ください。
2017年
7月
09日
日
本日は約50名の方がお参りくださり、小笠原博慧先生にお取り次ぎいただきました。お話の一部をご紹介させていただきますと、
習俗習慣というのは怖いもので、いつの時代からか、誰かがやりだしたことをみんながやりだすと、それが当たり前になる。間違ったことだとしても、それをやらなきゃおかしいのではないか、となることがあります。お盆を迎え、周りのみんながやってるからと言って、宗教ではなく、習俗になってはいませんでしょうか。迎え火送り火の用意に一生懸命になっているように感じます。お盆やお彼岸だけお墓の掃除、お墓のお参りに一生懸命になって、それだけでいいですか? そうではなく、仏さまに成らせていただけることを喜びましょう。それがお盆の別名、歓喜会という言葉です。大笑いする喜びではなく、安心する喜びです。
御法座が終わったあと、迎え火送り火の話を初めて聞いたという方がいらっしゃいました。境内掲示板、ホームページ、お便り、お参りにお伺いした時など、何度か浄土真宗らしいお盆について話題を出してはいますが・・・いつそれを目にするか、耳にするかは人それぞれですので、継続あるのみと感じました。
9月15日(金)10時より境内清掃、9月23日(土・祝)13時半より秋季彼岸会がございます。
2017年
7月
04日
火
本日の境内清掃は、9名の方がご参加くださいました。
台風の影響で曇り空とは言え、30度を超える暑さの中、2時間びっしりとお掃除くださり、ありがとうございました。
私は、あまり草木の名前を知らないのですが、明日葉があるよ!三つ葉があるからお吸い物に入れたらいいよ!とお教えくださって、勉強になりました。アロエも木のようにすごい塊になっていましたが、ノコギリで切っていただきすっきりしました。ありがとうございました。
7月9日は午後1時半より盂蘭盆会(歓喜会)がございます。みなさまどうぞお参りください。
2017年
6月
11日
日
今日の日曜学校は4人の子どもが参加してくれました。お話は、人は死んだらどうなるのでしょうか?という問いかけをしてみました。「天国か地獄に行く」「お墓に入る」「焼かれる(火葬される)」などの意見が出ました。
ここのお寺の教えでは、阿弥陀さまという仏さまが、私たちを仏さまにしてくださるんだよ、だから「なもあみだぶつ」とお念仏しましょうね、いうお話をしました。
仏さまというお方はどのようなお方かというと、本当のことは何なのかということを知っていて、すべての人に対して平等に優しくしてくださるんだよ。僕たち私たちも、仏さまのようになれたらいいね。自分のことばかりじゃなく、他の人のことも考えることが出来たらいいねとお話しました。
話の途中で、「平等ってなに?」という小1の子の質問に対して、「みんなに対して同じようにすることだよ。この子は大切にしよう、この子はテキトーにしようとは考えないことだよ」と説明しました。
そこで感じたのは、日頃、ご法事等のお話で仏教用語を使う時、「この言葉は難しいと感じていらっしゃるだろうな・・・」と、わかっていながらも、言葉の説明ばかりにならないように、あえてさらっと、大切な味わいの部分だけお話するようにしています。しかし、もう少し上手くお伝えする工夫が必要だなと、子どもの素直な質問であらためて感じました。
お参り後の遊びの中では、トランプのババ抜きもしましたが、誰にババが行ったかすぐわかるリアクションが微笑ましく感じると同時に、素直な喜怒哀楽に元気をもらいました。
次回の日曜学校は半年後になりますが10月22日(日)です。また、今年の夏のお寺の林間学校はバスで京都まで行きます。詳細は「こども向け行事」をご覧ください。
来月は7月4日(火)10時より境内清掃。7月9日(日)13時半より盂蘭盆会があります。どうぞ皆様ご参拝ください。
2017年
5月
21日
日
連日、夏のような陽気が続きますね。今日の降誕会には約20名の方がお参りくださいました。
降誕会は親鸞聖人御誕生をお祝いする法要です。誕生ということについて、この世に生を受けた私たちは、両親も時代も場所も容姿も与えられるがままに生まれて来ました。選ぶことが出来ませんでした。物心がついて、こういう環境だったらな・・・こういう状態だったらな・・・と色々思うこともあるでしょう。
しかし、私たちの理想、言葉を変えると、欲望というのはキリがありません。与えていただいた私という人生を、私が納得いく人生に出来るように努力することは不可欠です。ただし、努力しても自分の思い描く人生になることは稀でしょう。頑張っても頑張っても思い通りにならないことの方が多いのです。自分の思い通りにさせようとすること自体が傲慢なのかもしれません。
わが身をふり返れば、お恥ずかしいことばかりです。理想を求めるあまり、自分自身を見つめることを疎かにしているのではないでしょうか。
この救われがたい私を、いつでもどこでも支え続けてくださる方がいらっしゃいます。それが阿弥陀さまなのです。
阿弥陀さまの慈しみに包まれ、その慈しみにお応え出来るような人生にしたい、という人生の方向性が定まった時、豊かな毎日を歩むことが出来るのではないでしょうか。あぁ良かったな、ありがたかったなというお念仏の日々を共に過ごしましょう。
6月11日(日)は午後1時半より小中学生対象の日曜学校があります。お子さん、お孫さんがいらっしゃいましたら、ご案内のほど宜しくお願いいたします。
2017年
5月
16日
火
今日は13名の方がお越しくださいました。お寺の仏具磨き、境内の掃除をするためにお越しくださり、ありがとうございます。終了後、きれいになった仏具や内陣の様子をご覧になられた方もいらっしゃいました。
春先に、親鸞聖人のお掛け軸が傷んでいましたので修理に出し、この度お戻りになられました。親鸞聖人のご影像にお言葉が書かれており、これを画讃(がさん)といいますが、このように書かれています。
慶哉愚禿仰惟 樹心弘誓仏地 流情難思法海 嘆所聞慶所獲
慶(よろこ)ばしきかな、愚禿(ぐとく)、仰(あお)いでおもんみれば、心(しん)を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、情(こころ)を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流(なが)す。聞(き)くところを嘆(たん)じ、獲(う)るところを慶(よろこ)ぶ 『浄土文類聚鈔』
意味は、「大変よろこばしいことであります。私親鸞は、樹木が大地に根を張るように、心を仏法の大地にたて、情を人間の思いをはるかに超えた仏法に浸しています。み教えを聞きよろこび、感嘆しています」となりますでしょうか。
我が身の置き所、いかに生きるべきかが明確になったおよろこびが表現されています。
5月21日(日)午後1時半より降誕会がございます。どうぞお参りください。
2017年
4月
10日
月
今日は曇りでしたが、境内の桜の見ごろが続いております。お経練習会には8名の方がお越しくださり、今日はおつとめの声を合わせることを重点的に練習しました。
お経を読む時は、「調声人(ちょうしょうにん)」や「導師(どうし)」と呼ばれる、お経を引っ張っていく人の声を聞き、その人の声に合わせることを心掛けます。
お経を引っ張っていく人は、出だしの音の高さや速度、途中で音程が崩れないように気をつけながら声を出し、他の人は、その人の声に合わせるよう、耳でしっかり聞きながら声を出します。
お経は仏さまの教えが書かれたものであり、仏徳讃嘆(仏さまのお徳を讃えること)ですので、お経を読むのが上手いかどうかは問題ではありませんが、一同の声が揃っているというのは、やっぱりいいものです。これからもしっかりと周りの声を聞きながらおつとめいたしましょう。
以下は正信偈の現代語訳、前回の続き「依修多羅顕真実~正定之因唯信心」のところです。
修多羅すなわち『仏説無量壽経』によって、真実である南無阿弥陀仏を明らかにされ、迷いの道をすみやかにとび超えさせ、さとりにいたらせたいと願われる他力を明らかにされました。
本願力の回向によってすべてのものを救うため、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされました。仏の恵みに満ちた宝の海のような願いを信じれば、必ず仏の国で説法にあう聴衆の数に入るのです。蓮華のような世界である仏の国に至りついたなら、すぐに真実のさとりを身に受けて、煩悩はげしく、生と死の不安におののく娑婆世界に還って、まるで林や園に遊ぶように楽しく人と関わり、自在に人々を救うことが出来るのです。
曇鸞大師は梁の時代の国王が、常に菩薩と曇鸞大師のことを敬い礼拝していた方です。三蔵法師である菩提流支との出会いによって、永遠のいのちを説いた浄土の教えを授かりましたので、長生不死の迷信を説く仙経を焼き捨てて、仏の願いの国を拠り所にされました。『仏説無量壽経』の註釈書である天親菩薩の『浄土論』をさらに註釈し、阿弥陀仏の浄土が建立されたことも、私たちが浄土に往生することも、すべて阿弥陀仏の誓願によるとお示しになられました。私たちが浄土に往生することも、その浄土から迷いの娑婆世界に還ってくることも、阿弥陀仏の他力のおはたらきによります。浄土に往生して仏になることが確定するのは、阿弥陀仏から賜る信心のおかげです。
5月は16日(火)10時からおみがき&境内清掃、21日(日)13時半より降誕会がございます。
2017年
3月
20日
月
本日の春季彼岸会は約50名の方がお参りくださいました。
無明長夜(むみょうぢょうや)の灯炬(とうこ)なり、智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり、罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
という親鸞聖人のご和讃は、「阿弥陀さまは、迷いの闇の中にいる私たちを照らす灯であり、迷いの大海原に沈む私を救い出してくださる船や筏のようなお方です。ですから、智慧の眼が無いからといって、悲しんだり歎いたりする必要はないんですよ」という意味になります。
私たちは物事を自分の物差しで考え、とらえてしまいます。物事が成立するのは、様々なことが絡み合って成立するわけですが、どうしてそうなったのかを自分勝手に短絡的に考え、決めつけてしまっているのかもしれません。これが犯人探しなら冤罪になってしまうこともあるでしょう。
こうも考えられる、ああも考えられると、自分の理解を超えた世界に対して、思いを馳せることが出来る人というのは、私というのは真実を見ることが出来ない、自分の物差しでしか物事を見れない「無明(むみょう)」であることに気付きます。そして、私の知らないところで、知らず知らずのうちに多くの方々に支えられていることを感じることが出来るのではないでしょうか。
仏さまのように確かな存在になれない私だからこそ、阿弥陀さまは救わずにはおれないとおはたらきくださるのです。確かな私を作り上げて行くのではなく、確かな阿弥陀さまが私をお救いくださるのです。それが他力のお救いです。
他力と聞くと、消極的なイメージがあるかもしれませんが、そうではありません。自らの力では仏さまになれないこの私をお救いくださるという、大きなご恩をいただいた私たちです。そのような私たちですが、社会に対して出来ることはあります。人様に対して何か出来ることはあるはずです。私に出来ることは何なのか、わが身を振り返りつつ、出来ることをさせていただく御恩報謝の生活をおくりたいものです。
4月は10日(月)13時半よりお経練習会がございます。
2017年
2月
15日
水
今日の涅槃会は9名の方がお参りくださいました。
私たち浄土真宗のみ教えを仰ぐ者は、神さま仏さまに自分の願いを託すようなお参りはいたしません。また、自分の身に悪いことが起きないようにと、お祓いをすることもありません。建物を建てる時に地鎮祭を行う方も多くいらっしゃいますが、お寺では地鎮祭は行わず、起工式や竣工式を行います。その土地の神々の霊を鎮め、土地を清めるといった意味では行いません。工事の無事や安全、新しい建物に住む人達が安心して暮らせるようにという思いはもちろんありますが、それらを仏さまにお願いはしないのです。建物を建てるに至るまでのご縁やご恩をあらためて味わい、これからも阿弥陀さまを拠り所とするお参りをいたします。
私たちはどのような信仰生活を送ればいいかというと、『浄土真宗の教章 私の歩む道』には「親鸞聖人の教えに導かれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、常にわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る」とあります。
阿弥陀さまに照らされ、わが身をふり返ると、救われ難い私に気付きます。自己中心でしか生きられず、智慧と慈悲を完成させることが出来ないからです。そのような救われ難い私を、救わずにはおれないと常に願ってくださるのが阿弥陀さまなのです。願いを叶えてくださいとお参りをするのではなく、阿弥陀さまに救われる身を喜び、多くの御恩で生かされていたんだ、ありがとうございますとお参りをいたしましょう。
最後に「仏典アニメ マハーカッサパ」を見ました。
2017年
1月
01日
日
あけましておめでとうございます。蓮如上人の御文章『無上甚深章』にこういう一節があります。
「それ、南無阿弥陀仏ともうす文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには、無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにその極まりなきものなり」
今の言葉に直しますと、「さて、南無阿弥陀仏という文字は、その数わずかに六字ですから、それ程すぐれたはたらきがあるとは思えませんが、この上なく広大な功徳利益があることは量り知れません」という意味になります。
「わずか六字ですから、それほど勝れたはたらきがあるとは思えません」というお言葉、面白いですね。しかし、このわずか六字のお名号に阿弥陀さまのお徳が込められているのです。
「我にまかせよ必ず救う」という阿弥陀さまの仰せにおまかせし、「ありがとうございます」という南無阿弥陀仏のお念仏を申すばかりです。
元旦会には10名ほどの方がお参りくださいました。兄弟がお正月の里帰りで清水に来ていたので、誘って一緒に来ましたという方もお見えでした。お寺へのご縁をお作りくださりありがとうございます。
来月は15日(水)13時半より涅槃会がございます。