2015年
12月
08日
火
本日はお釈迦さまがさとりを開かれたことをご縁としておつとめする成道会(じょうどうえ)で、法蔵菩薩と本願のお話をさせていただきました。阿弥陀さまは仏さまに成られる前、法蔵菩薩であった時に願いを建てられました。その願いとは「あらゆる生きとし生ける者を必ず救う」という四十八の願いです。その願いを完成され仏さまに成られました。
その四十八の願いの中でも、本願とよばれるのは十八番目の願いです。この第十八願は「われを信じ、わが名を称える者を、必ず往生させる」というもので、つまり「南無阿弥陀仏のお念仏を称える者を必ず仏にさせるから、お念仏を称えておくれよ」と私たちに呼びかけておられます。私たちはその仰せのままに南無阿弥陀仏とお念仏申すばかりなのです。
お念仏を称えると言っても、「私が称えたから救われる」というように、私が称えるという行為を私の手柄にしては自力の念仏になります。煩悩まみれのこの私が称える念仏が功徳となり、救われるというわけではありません。「必ず往生させる」というお救いを、すでにいただいている私たちです。救われた身となった私たちの念仏とは、「ありがとうございます南無阿弥陀仏」とただただ御恩報謝のお念仏なのです。「救ってください南無阿弥陀仏」ではなく、「ありがとうございます南無阿弥陀仏」が他力の念仏であります。
話の後は、仏典アニメ「極楽浄土」を見ました。本日おつとめした「仏説阿弥陀経」に説かれている極楽浄土の様子が映像化されています。
来月は1月1日(金)午前11時より元旦会がおつとまりになります。年の始めはお寺にお参りいたしましょう。
2015年
11月
26日
木
京都西本願寺団体参拝旅行に10名で行ってきました。京都は一時小雨が降り、肌寒い1日でした。
今回の内容は、永観堂にて紅葉狩りー昼食ー東本願寺阿弥陀堂内陣修復見学ー西本願寺第十一代顕如上人御祥月法要参拝、ご法話の聴聞、書院・飛雲閣拝観ー夕食でした。
西本願寺では、日頃拝観出来ない場所を丁寧にご説明いただきました。先人の知恵や遊び心が表現されており、興味深かったです。参加者の方も、「以前、書院を見学させていただいたことはあったけど、その時はただ見て回っただけで、今回のように解説をしていただきながらだと全然見方が変わった」と口々におっしゃっておられました。旅行中は、ご門徒さん同士で交流も出来、充実した参拝旅行となりました。ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。
来年の11月も、ご門主様代替わりの法要に合わせて京都西本願寺に参拝いたします。
来月の妙生寺行事は、12月8日(火)13時半より成道会がございます。
2015年
11月
11日
水
今日のお経練習会は、正信偈行譜、正信偈十二礼の節、和讃五十六億七千萬から六首の練習をしました。これらは妙生寺報恩講で毎年おつとめしますのでしばらく継続して練習したいと思います。
以下は、プリントをお配りしただけになりましたが、正信偈訳の前回の続き「如来所以興出世~難中之難無過斯」のところです。
釈迦如来がこの世にお出ましになられたのは、ただ阿弥陀如来の本願をお説きになるためで、五濁悪時の世にいる一切の衆生は釈迦如来の真実のお言葉を信じるべきです。
信をおこして、阿弥陀如来の救いを喜ぶ人は、自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができます。凡夫も聖者も五逆(父母、修行者を殺害したり、仏さまを傷つける、教団の輪を乱す者のこと)の者も謗法(仏の教えを悪く言う)の者も、自力をひるがえして本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、ひとしく救われます。
阿弥陀如来の光明は、いつも衆生を摂め取ってお護りくださいます。すでに無明の闇ははれても、貪りや怒りの雲や霧は、常にまことの信心の空を覆っていますが、たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、その下は明るくて闇がないのと同じです。信を獲て大いによろこび敬う人は、ただちに本願力によって迷いの世界のきずなが断ち切られるのです。
善人も悪人もどのような凡夫であっても、阿弥陀如来の本願をいただけば、仏はこの人を勝れた智慧を得た人であるとたたえ、汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになられます。阿弥陀如来の本願念仏の法は、邪な考えを持ち、驕り高ぶる自力のものが信じることは甚だ難しいのです。これは難の中の難で、これ以上に難しいことはありません。
来月は、12月8日(火)13時半より成道会が行われます。
2015年
11月
01日
日
昨日、今日と浄土真宗で最も大切にする法要、報恩講でした。
昨日は、価値観の転換について、親鸞聖人は「雑行を棄てて本願に帰す」と仰り、修行の道からお念仏の道へ移られ、山伏の弁円は親鸞聖人に出会い「山も山道も昔に変わらねど、変わりはてたる我が心かな」という心境に至り、私たちもお念仏の道しかないというお味わいをお話しさせていただきました。
本日は東京都より田原哲先生にお取次ぎいただきました。先生の良く通る声で笑いを交えながら、午前午後と1時間ずつありがたいお時間をいただきました。私たちの人生で驚くべきことは何か・・・それは今このように生きていることです。私たちは普段、命終えることに対して驚きを覚えますが、仏さまの教えでは生きていることこそ驚きであるとお教えくださいます。命が終わる時はいつかは来ますが、それは死ではなく往生なのです。仏さまに成らせていただくのです。一日一日の命が当たり前のことではなかったのだ、朝になって目を覚ますことが当たり前のことではなかったのだと気づかされる世界がお念仏の世界です。
「親孝行したい時にはお念仏」。親が元気なうちは、なかなかお礼が言えないものです。しかし私たちは親と会うことが出来なくなってもお礼を言うことが出来ます。それがお念仏なのです。手を合わせる南無阿弥陀仏というお念仏の中に、阿弥陀さまがいてくださる、亡き人が共にいてくださる、私は1人ではなかったのだ、私と共にいてくださるんだという温もり感じ、安心してお浄土に生まれさせていただく人生を歩みましょう。
次回行事は、11月11日(水)13時半よりお経練習会がございます。
2015年
10月
22日
木
本日はおみがき並びに境内清掃を行い、12名の方がお手伝いくださいました。みなさん慣れた手つきで進めてくださいます。写真は仏具を洗浄液に浸して、すすいでいるところです。この後、タオルで水気を切り、本堂に運び、仕上げにダスターで磨くという一連の作業をリレー形式で行っています。
洗浄液によって、すでに輝きを取り戻した仏具を、さらにダスターを使って磨くことは根気がいります。約1時間磨いていただきました。磨き終わった後は、仏具を元通りに組み立てて完成です。妙生寺では年に2回、おみがきをおこなっていますが、ピカピカになった仏具は気持ちがいいものです。みなさまのおかげで、今年も報恩講をお迎えすることが出来そうです。
来週末は報恩講です。みなさまどうぞお参りください。
2015年
10月
18日
日
本日の日曜学校は、気温が25度まで上がり、汗ばむような気候でした。
お話は「ありがとう」と「おかげさま」という言葉について。朝目覚めて、ご飯をいただき、学校に通えることを「当たり前」と思っているかもしれないけど、そうではないんですよ。ご家族の方がみんなのために一生懸命働いてくださり、身の回りのことをしてくださり、健康に気を遣ってくださるから、元気に食べたりゆっくり布団で寝たりすることが出来ます。また他にも、名前も知らない方々や、直接お会いしたことのない方々が陰で支えてくださるからこそ、生きていくことが出来ます。私たちはありがとうとおかげさまによって生かされていますよというお話をさせていただきました。
お参りの前後には外遊びです。「落ち葉拾いゲーム」や「鬼ごっこ」、「だるまさん」という引っ掛け問題ゲームなど色々と遊びました。お墓参りの方にきちんとご挨拶が出来たり、他の子に楽しみな部分を譲ってあげたりと、礼儀正しく思いやりのある部分も見せてくれました。何よりお寺で楽しそうに笑顔で過ごしてくれるのは嬉しいことですね。
さて10月31日(土)、11月1日(日)は浄土真宗で最も大切にする法要「報恩講」がおつとまりになります。特に11月1日(日)は午前10時半からと午後1時より、ご講師をお招きして、法要に引き続き、1時間ずつご法話をいただきますので、是非お参りください。初めての方もお気軽にお参りください。
それに先立ちまして10月22日(木)午前10時より、おみがきと境内清掃を行います。
2015年
9月
23日
水
浄土真宗のみ教えを表す言葉は色々ありまして、「本願」「名号」「信心」「念仏」などはよく使われる言葉であり大切な言葉です。
いずれも「すべての人々を救って仏に成らせる」という阿弥陀さまの「本願」のはたらきであり、この本願のはたらきを「他力」とも言います。
「すべての人々を救って仏に成らせる」という「本願」を実現するために、阿弥陀さまは自らの徳をすべておさめた南無阿弥陀仏という「名号」をつくりあげ、この名号が私の心に至り届いたとき、名号のはたらきによって私が仏に成ることが決定するのです。これを「信心」を賜った、信心をいただいたというのです。そしてこの南無阿弥陀仏の名号が私の口から声となってあらわれ出たものが「念仏」です。
浄土真宗は他力の教えだから日頃から努力はいらないとお考えの方がいらっしゃるかもしれませが、それは間違いです。信心については阿弥陀さまよりいただくばかりであるというだけであって、御恩報謝は努めて行います。信心はいただくばかりですが、御恩報謝は私の努力。念仏は称えようと思って称え、自分のため人様のために私が出来ることをする。これが私たちお念仏の教えをいただく者の生き方なのです。「どんな罪も往生の妨げにはならないが、悪いことはしないように努力はしなさい」というのが第十八願の唯除五逆誹謗正法なのです。
10月18日(日)午後13時半より日曜学校
10月22日(木)午前10時よりおみがき、境内清掃
10月31日(土)、11月1日(日)は報恩講がおつとまりになります。
2015年
9月
16日
水
境内清掃に7名の方がお越しくださいました。この度は男性が多く、道具についてや掃除の方法のアドバイスもいただき、2時間みっちりお掃除をしてくださいました。また、いつもお菓子を差し入れしてくださりありがとうございます。
来週23日(水)は秋のお彼岸の法要がございます。彼岸やお盆というと世間一般ではお墓参りだけで終わってしまいがちですが、浄土真宗では聴聞が要(かなめ)です。
13時半からおつとめ引き続き法話があり、14時半に終了予定です。どうぞ初めての方もお気軽に本堂にお入りいただき、お参りください。
2015年
7月
31日
金
7月29日から31日の3日間、静岡県、神奈川県、山梨県の浄土真宗本願寺派のお寺が集まって行われる「お寺の林間学校」がありました。小中学生77名、高校生や大人のスタッフは約50名(3日目はプラス約20名)の参加で、妙生寺からはスタッフ1名の参加でした。
お寺は仏事だけでなくこのようなことも行っています。他県のお友達と交流も出来、子どもたちにとって夏のいい思い出になってくれたことと思います。
写真は3日目、およそ100名が一斉に食べられるくらい竹を繋いだ流しそうめんを行っているところです。子どもたちは竹を小刀で削ってお箸を作りました。この長い台は静岡西組の仏教壮年会の方々が中心となってお作りいただいたものです。
スタッフとしてご一緒した方との会話で、「数年前の話ですが、学校には行きたくないと言って休みがちだった子が、お寺の林間学校に参加して、友達っていいものだと感じ、頑張って再び学校に行ってみる気になったという子がいたんですよ」という話を聞かせていただきました。学校へ行くのことが辛いのに、無理してでも学校に行くことが大切だとは思いませんが、その子にとってお寺の林間学校が、友達と楽しく過ごすきっかけとなったのなら、素晴らしいことだと思います。
すべての人は老いも若きも仏さまの子です。不思議なご縁で出会った人々と同じいのちを賜った仲間として、支え合い、支えられていることに感謝しつつ過ごせたらいいですね。
9月は16日(水)10時から境内清掃、23日(水)13時半から秋季彼岸会があります。
2015年
7月
05日
日
本日は山梨県の小笠原博慧先生に、お盆のあれこれという内容でお取次いただきました。
盂蘭盆会(うらぼんえ)のことを歓喜会(かんぎえ)とも言います。「歓」は身をもってよろこぶ、「喜」は心でよろこぶことをあらわします。仏説無量壽経の中に「信心歓喜」という言葉が出てきます。阿弥陀如来の「あなたを必ず救いますよ、必ず仏にさせますよ」と案じ続けてくださっているお心が、この私に届いたことを信心といい、仏さまに成らせていただく「いのち」を生かされているよろこびを信心歓喜と言うのです。本当のよろこびとはその場限りのことではなく、生涯続くよろこびが本当のよろこびであり、信心をいただくことなのです。
浄土真宗のみ教えで仏さまに成るということは、世間で良いと思われること、たとえば寄付やボランティアをしても、また表彰状をたくさんいただいても仏さまに成る種にはなりません。それらのことはすばらしいことには違いありませんが、仏になる種にはならないのです。阿弥陀様におまかせしお念仏申すのが私たちのみ教えなのです。
これからお盆を迎えますが、お墓参りだけではなく、仏さまのみ教えをお聴聞させていただきましょう。
9月16日(水)10時から境内清掃、9月23日(水・祝)13時半から秋季彼岸会がおつとまりになります。
2015年
6月
30日
火
梅雨の合間、暑くもなく寒くもない清掃日和となり、12名で境内清掃を行いました。話ながら掃除をすると時間が経つのがあっという間で、おかげさまで本堂周りを中心にきれいになりました。ご奉仕いただいた皆様、ありがとうございました。
話は変わりまして、明日は地球の自転速度と時間のズレを調節する「閏(うるう)秒」が行われます。4年に一度の「閏年」は有名ですが、秒による調節も必要なのですね。
調節といえば、プチ断食で内臓を休め、毒物、老廃物を出し、体を調節するという方法がありますが、体だけではなく、お寺にお参りして心も調えたいものです。浄土真宗のお味わいでは、心が洗われるということではなく、私の心は毒物、老廃物だらけだったと気づかされ、それらを出し切ることが出来ず、それらを抱え苦悩しているそのままの私をお救いくださる仏さまのおはたきがあることに気づかされます。
7月5日(日)は午後1時半より盂蘭盆会(歓喜会)が行われます。どうぞみなさま、本堂にお参りし御聴聞いたしましょう。
2015年
6月
14日
日
今日は日曜学校で5名の子どもたちが参加してくれました。
仏さまのお話は、「南無阿弥陀仏」とはインドのあいさつである「ナマステ」が語源です。「ナマス」とは「敬う」「感謝」、「テ」とは「あなた」という意味です。つまり「あなたをお敬いしていますよ、あなたに感謝してますよ」というのがインドの方の挨拶です。素敵ですね。
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀さまをお敬いします、感謝しています」ということです・・というお話をいたしました。
その後、外遊びをして、お菓子をいただきました(ご門徒さんが差し入れをしてくださいました)。
次に「何しようか?仏典アニメを見るとか、外で遊ぶ、カルタやトランプとか色々あるけど、何がしたい?」と尋ねたところ、全員「また外遊びがしたい!」とのことでした。普段安心して外で遊ぶ場所がなかなかないからでしょうか。身体を動かしてみんなで遊ぶということは、仲良くなるにはとてもいいことです。
お寺は仏事をするだけの場ではなく、誰もが安心して集える場所でありたいと願っております。
当ホームページの「こども向け行事」の欄に詳細を載せていますが、7月29日(水)~31日(金)の3日間、静岡・神奈川・山梨の3県の浄土真宗本願寺派のお寺にご縁がある子どもたちが今年は富士市に集まり、「お寺の林間学校」を開催いたします。参加ご希望の方は お問合せください。清水区の多くの小学校は、この期間まだ夏休みに入っていないという情報を耳にしておりますので、ご参加いただくのは難しいかもしれませんが・・・。
今月30日(火)は10時から境内清掃、来月7月5日(日)は午後1時半より盂蘭盆会が行われます。ご講師は山梨県の小笠原博慧先生です。
2015年
5月
17日
日
本日は親鸞聖人のご誕生をお祝いする降誕会でした。
浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きる時浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」という教えです。
真実に目を背け、自分のことばかり考えて生きているようなこの私を憐れみ、そのような私に対して「必ずあなたを救いますよ」と大いなる慈悲のお心ではたらきかけてくださっているのが、阿弥陀さまです。そのはたらきかけに対して「ありがとうございます」とお念仏し、仏さまを敬い、仏さまの心に沿った生活をするのが私たち浄土真宗の門徒です。
親鸞聖人の教えはこういう教えなんだと知っているだけでは信仰とは言えません。単に宗教的知識が増えたというだけです。仏さまのお心を知り、仏さまの教えに沿ったものの見方、生活を心がけたいものです。
本日は法話の後に、ご門徒さんからご寄進いただいたテレビを使い、DVD鑑賞もいたしました。時々このような視聴覚伝道もおこなって行きたいと思います。ご寄進ありがとうございました。
来月は14日(日)に子ども向け行事の妙生寺日曜学校がございます。小中学生の方は是非ご参加ください。
2015年
5月
13日
水
昨夜は5月にしては珍しい台風の影響で静岡も暴風となりましたが、本日は台風一過で晴天になり、暖かな日になりました。
本日のおみがき&境内清掃は11名の方にお集まりいただきました。長年お手伝いくださっている婦人会のみなさんは、慣れた手つきでお磨きを進めてくださいました。また、男性陣は仏具を運んでくださったり、窓の掃除を行ってくださいました。
お磨きする際、仏具をバラバラにして磨き、磨き終わったら仏具を再び組み合わせますがこれが結構難しい作業です。同じような部品がいくつもありますし向きもあります。組み合わせたと思っても穴に留め具が上手く入らずにやり直したり・・・その作業を今回はご門徒さんに行っていただきました。
5月17日(日)は13時半より降誕会です。どうぞ皆様お参りください。
2015年
4月
22日
水
今日のお経練習会は、正信偈の十二礼の節を練習いたしました。5月の妙生寺降誕会はこのおつとめを行う予定です。
正信偈は第八代宗主蓮如上人が、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』の一部を抜き出し、節をつけて一同でおつとめするようになり広まりました。
正信偈を大きく2つに分けると、前半部分は依経段(えきょうだん)といい、阿弥陀如来の教えが説かれています。後半部分は依釈段(えしゃくだん)といい、親鸞聖人がお敬いになられた七人の高僧方について書かれています。
本日はおつとめの練習の前に、『帰命無量壽如来~必至滅度願成就』のところのお話をさせていただきました。
いつでもどこでも私を救うとおはたらきくださる阿弥陀如来に、私は帰依いたします。阿弥陀如来は、まだ仏になる前の法蔵菩薩であった時、師匠である世自在王仏の前で、この上ないさとりの世界である極楽浄土の建立を誓い、この私を救うために、とてつもなく長い年月をかけて考え、行を修め、南無阿弥陀仏のお念仏の教えに生きることで浄土に生まれるという教えを完成されました。阿弥陀如来のおはたらきは光にたとえられ、すべての世界を照らしてくださいます。生きとし生けるものが救われるのは「私のまことを信じてくださいよ」という南無阿弥陀仏のお念仏を届けてくださる他力の信心によって救われるのです。そして俗にいう「あの世」で仏になることが定まるのではなく、娑婆世界を生きる「今」仏となる身に定まるのです。
5月13日(水)10時~12時におみがき並びに境内清掃、5月17日(日)13時半~14時半まで親鸞聖人のお誕生を祝う降誕会(ごうたんえ)がございます。
皆様のご奉仕、並びにご参拝をお待ち致しております。
2015年
3月
21日
土
本日は春のお彼岸お中日法要でした。小雨降る中、約50名の方がお聴聞してくださいました。
彼岸、浄土について様々な先生のお味わいをご紹介させていただきました。
私たちはお浄土の有無ばかり気にしてしまいがちですが、お釈迦様の教えに「毒矢の喩え」というものがあります。「死後の世界はどのような世界なのですか?」とお釈迦様に質問をした人に対して、「あなたの質問は、毒矢に射られた人間が、『私を射た者は何という名前だ、どこに住んでいる、どんなやつだとわかるまではこの矢を抜いてはならない』と言っていることと同じである。そんなことを調べるよりも、まず毒矢を抜き治療することが大切だ。そうでなければ何も解決しないまま命終えてしまうだろう」というものです。
山本仏骨先生は、「過去や未来を客観的に眺めて議論するよりも、今の私の生き方をとらえることが何より大切な問題なのです。そこからおのずと、未来の自分の在り方もわかっていくはずでしょう」と仰られました。
また、梯実圓先生は「浄土は本当にあるのか、と親鸞に問えば、本当の意味で『ある』と言えるのは浄土だけである、と答えられるはずである。
浄土とはさとりの領域であって、一切の虚妄を離れた真実の世界であると見られていた。私たちがあると思い描いているこの世界は我欲と憎悪と無知が描き出した虚構の世界でしかないことを意味しています」と仰られました。
人間の目に見える世界が真実で、目にすることの出来ない世界は虚仮だと思い込んでいた私に「そうではないんだよ、煩悩まみれの不確かな私が見る世界は虚仮であり、『念仏のみぞまことにておはします』なんだよ」と親鸞さまは教えてくださいます。
浄土とは遥か遠くにある楽しい世界ではなく、清浄な者から見た真実の世界であり、私が目標とする世界、拠り所、往き生まれさせていただく世界なのです。
来月4月22日(水)は、お経練習会を13時半より行います。
2015年
2月
16日
月
本日は仏説観無量寿経のお話をさせていただきました。このお経はお釈迦様がご在世の頃、王舎城(おうしゃじょう)で起こった悲劇を縁として説かれたものです。
阿闍世(あじゃせ)王子は父である頻婆娑羅(びんばしゃら)王と母である韋提希(いだいけ)夫人を牢獄に閉じ込めます。悲しまれた韋提希夫人は苦悩なき世界、お浄土に生まれたいとお釈迦様に教えを請いました。
お釈迦さまは浄土に生まれる方法を、①精神統一により浄土の姿を観る定善(じょうぜん)と、②精神統一をしないままで修める散善(さんぜん)を人間の資質に分けて説かれます。
そして最後に、このお経の要は何かというと、今まで説いてきた定善並びに散善の方法で浄土往生を願うのではなく、何も修めることの出来ない救われ難い私たちには、阿弥陀さまより賜りたるお念仏の教えしかないと説かれました。
正信偈の「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁」は、善導大師は独り仏(お釈迦様)の正意(観経の教えの要)を明らかにして、定善散善(自力)と五逆十悪(悪人)の者を哀れんで、賜りたるお念仏が因となり縁となって私たちをお救いくださるのですと顕かにしてくださいました、ということです。
来月は3月21日(土)に春季彼岸会を行います。
2015年
1月
01日
木
あけましておめでとうございます。年末年始はお寺や神社に行かれた方が多いことでしょう。1年の始まりにあたり、観光だけではなくそれぞれ自分の宗教に基づいたお参りをしていただきたいものです。
浄土真宗では「○○になりますように」と自分の願い、欲望を依頼するのではなく、煩悩深き身であることを自覚し、そのような私をお救いくださる仏さまに「ありがとうございます」の気持ちで手を合わせるのです。
さて、明治大正時代を生きられた石見(島根県)の浅原才市さんという方の言葉にこういうものがあります。「煩悩に目鼻つけたが、わが姿」。私が煩悩を持っているのではなく、煩悩に目鼻を付けたのがこの私だというのです。その救われ難い私を「不断煩悩得涅槃」、煩悩を抱えたこの身このままで救われるというのがお念仏、浄土真宗の教えです。
石というのは、どれだけ小さくても水に入れれば沈みます。しかしどんな石でも船に乗せたならば、沈むことなく向こう岸に渡ることが出来ます。船に乗せたからといって石の沈む性質が変わったわけではありません。沈むという性質を持ったまま船の力によって向こう岸に渡れるのです。この石にあたるのが私であり、船が阿弥陀さまなのです。
新年を迎え、新たな気持ちで過ごさせていただいている私たちですが、欲や怒りの煩悩が消えることはありません。そのような中で、さまざな御恩があるからこそ、こうして過ごしていられる、そしてこのような私でさえ、私だからこそ寄り添ってくださるお方がいらっしゃるという御恩を思い、今年もお念仏を申す日暮をともに過ごしましょう。
次回2月16日(月)13時30より涅槃会がございます。